ヘ(╹α╹ヘ) ヘ(╹β╹ヘ) ヘ(╹γ╹ヘ) / beat#1

 この作品は、ヴァイオリンのための「ヘ(╹α╹ヘ)」、チェロのための「ヘ(╹β╹ヘ)」、ヴィオラ・ダ・ガン バのための「ヘ(╹γ╹ヘ)」(以上、作曲・梅本佑利)、そして「beat#1」(作曲・山根明季子、委嘱・梅本 佑利)、計4つの「アプリケーション」を組み合わせた作品である。

ここでいう「アプリケーション」(以下「アプリ」という。)とは、他人の楽曲や他のアプリと組み合わ せて一緒に演奏することを可能とする、フレキシブルな楽曲形態をいう。アプリは、他のアプリの 存在を前提としていない。したがって、それぞれのアプリは、他のアプリと組み合わせず、単体で の演奏も可能である。

山根の「beat#1」は、今回新たに制作された作品ではなく、もとはオーケストラ作品「Oo./x」(作 曲・梅本佑利)と一緒に演奏するために委嘱された4つのアプリ(小規模の室内楽作品)のうちの 1つである。 なお、コンピュータのオペレーティングシステムにおける「アプリとカーネル」の関係になぞらえ て、このオーケストラ作品を作曲家は「カーネル」と呼んでいる。 「beat#1」は、スネアドラム、バスドラムなどの打楽器ソロまたは電子音で演奏される4ビートの 音楽である。

そして、今回新たに3本の弦楽器のために書かれた「ヘ(╹α╹ヘ)」、「ヘ(╹β╹ヘ)」、そして「ヘ(╹γ╹ ヘ)」の3つの作品は、いずれも、いわゆる「チップチューン」に見られる「8bit」の音楽語法で書かれ たアプリである。

3つの新作と「beat#1」の演奏は、おおむね次のように行われる。 (1)3つの新作と「beat#1」を演奏する各プレーヤーは、4つの部屋に隔離してそれぞれ配置され る。 (2)3つの新作が演奏される各部屋には、スピーカーが1つずつ配置されている。「beat#1」の部 屋で演奏される音は、3つの新作が演奏される各部屋のスピーカーから同時に配信される。 (3)各プレーヤーは、それぞれに割り当てられた異なるアプリを、原則として、それぞれの時間軸 で演奏する。すなわち、特に指定のない限り、プレーヤー同士でテンポや拍を合せる必要がな い。 (4)3つの新作の各アプリには、(A)(B)(C)(D)のフレーズを任意の順序と回数で繰り返し演奏する セクションのほかに、他のアプリへの同期が求められる(E)のフレーズがある。今回の演奏におい ては、(E)のフレーズは、「beat#1」に同期する。 (5)「beat#1」のプレーヤーは、任意の間隔・回数で演奏する(電子音又は打楽器。自動演奏でも よい)。この音を聴いた他の3つの部屋のプレーヤーは、直ちに(E)のフレーズを演奏する。この (E)の演奏においては、「beat#1」のテンポとリズムと完全に同期させる。「beat#1」の音がスピー カーから聴こえなくなると、各プレーヤーは、(A)(B)(C)(D)の演奏に戻る。

ところで、奏者ごとに自分自身の時間軸を持ちながら、何らかの「切っ掛け」(trigger)によって間 合いや拍が統制されるアンサンブルの関係であったり、演奏家が平面的かつ水平展開する舞台 配置などは、日本の伝統音楽から着想を得たものである。 また、今回の演奏は、日本家屋の区切られた部屋の中で、演奏家が個別に配置され夫々の音 を奏でて、それを観客が全体を俯瞰し、あるいは建物の中を移動しつつ、様々な視点で音楽を聴 くという演奏・鑑賞の構造を持っている。西洋音楽的な時間軸、遠近法や配色(オーケストレー ション)とは大きく離れているが、これは、大和絵における吹抜屋台の構図や、ゲームセンターの 音響空間、あるいはテレビゲームにおける効果音やイベント音楽の用いられ方などといった、日 本の過去から現在につながる空間・音・時間の表現ないし技法から大きな着想を得ている。