作曲と即興性

© 2020 Yuri Umemoto
© 2020 Yuri Umemoto

今回、Hakuju Hallで行われる「Hakuju New Style Liveバッハとコンテンポラリーの融合」はバッハの晩年の傑作、「フーガの技法」と現代の新しい音楽が交互にプログラミングされた意欲的な演奏会。今回、そこで僕の新曲の弦楽四重奏曲も世界初演される。

その新作を書き終わった後、初めてこのプログラムを見て、なんとなく思ったことを書いておく。


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フーガの技法といえば、私達は、特に、その究極の「構築性」に注目するが、同時に高い創造性と芸術性を感じる。なぜそう感じるのか?


バッハの時代には即興演奏と作曲というものが密接にあった。即興演奏といえばジャズと同じ音楽の要素と精神がそこにある。しかし現代のジャズと、当時の大きな違いは、それを「どう記録するか」です。当時は、録音技術はないわけで、それを残すには、より正確な方法は楽譜しか方法が無かったのです。しかしそれには限度があり、演奏家がどう弾いたとか、もしかしたらその場で即興をしたとか、そういうものは残らないのです。その結果、クラシック音楽は、必然的に「構築」「知的な構成」「的確な解釈」が高められ、ご存知の通り、次第にクラシック音楽の、作曲というものから即興的側面は減っていった。そして、その後、生まれたのがジャズです。


この歴史をみて、芸術音楽というものには、「即興性」が根本にあると僕は思いました。作曲家の頭の中で自発的に、瞬間的に創造された音は、一種の、頭の中の即興で、それを再構築し、選別し、より洗練された音を楽譜として残すのです。

ビル・エヴァンスの言葉を借りれば、即興はそんな「自然発生的な創造の過程そのもの」なのです。バッハは特にその即興的な瞬間を音楽という形に表現できる、そしてそれを究極的に構築できる究極の作曲家だと思います。決して形式だけが全てではない、スリリングなものなのです。


僕は、即興演奏を楽譜に取り入れているわけではないですが、そんな音楽の創造過程の根本的な精神を決して忘れないように心がけています。新しい音楽を書くには、なにか新しいものを自ら探求し、そんな瞬間的な閃きを大事にしなければなりません。


バッハから脈々と受け継がれる精神、今の新しい芸術音楽にも通じるもの。そして、フーガの技法がプログラミングされるとは知らずに、傍から見ればこんなあまりにもバッハから遠いような曲を作ってしまった僕ですが、そんなこの「fluffy pink!」でさえ、バッハの時代と全く変わらない創作の共通点があるのです。

「瞬間の閃きと創造」。それをうまく形として構築すること。そして、未来のために、なにか「新しいもの」を決して止まることなく創り続ける精神です。


この作品を依頼されたのは初演日のちょうど一ヶ月前。与えられた作曲の期間は一週間でした。その特殊な状況のおかげで、僕は、「瞬間的な、自然発生的な創造の過程そのもの」を深く考えることができたのです。完成したものをみたときは、まるで、自分の即興演奏を聴き返しているような面白い体験でした。でもそれは明らかに自分の理念と、思考を尽くした音響であることは間違いないのです。


梅本佑利